Yutaka's attitude
Yutaka's attitude toward his work - in Japanese -
ある業界に従業員として身を置き、日々業務に取り組む中で、次第にその業務の根幹にあるべき「論理」に対する関心が深まっていく。(ここでの「論理」とは、業務を合理的に進めるうえでの原則や思考過程を指す。)しかし、多くの人々においては業務を遂行する際には、マニュアルや慣例に従って進めることが一般的であり、これらの表面的な指針が業務のすべてであるかのように考えられがちである。そのような環境において、業務の根本的な論理を十分に理解している人間は決して多くはない。結果として、疑問を投げかけても返ってくるのは、納得のいかない、曖昧で不明確な回答である。
従業員それぞれが業務に対して論理的な思考を駆使することで、組織はより効率的かつ健全に運営されるはずである。しかし、業務における論理的思考の対象は文章化されたものだけではなく、その範囲は多岐にわたる。これには法的な基準やルール(明文化された規範)から、特定の状況に応じた柔軟な判断が求められる暗黙の了解(明文化されていないが従うべきとされる慣習)が含まれる。そのため、すべての従業員に業務の一つ一つの論理的構造を完全に理解させることは時間と労力が膨大にかかり、現実的とは言えない。このような背景から、組織は業務を円滑に進めるために、マニュアルを通じて明確な手順や禁忌事項(してはいけないこと)を設定し、従業員に対して具体的な技術や方法論をインプットすることに重きを置く。マニュアルに基づく業務遂行により、各従業員が擬似的に論理に基づいて働いているかのような状況が生まれる。
マニュアルの存在により、組織の運営が表面的には円滑に進んでいるように見えるため、一般的には「理想的な従業員」として、マニュアルを忠実に遵守する人材が評価されることが多い。しかし、本来求められるべき職業人の資質は、マニュアルや慣習を盲目的に守る従順さではなく、論理的思考を駆使して業務を遂行する能力である。それに気づかない多くの人々は、マニュアルを表面的に理解し、そのとおりに業務を遂行していれば十分であると考え、それ以上の追求を怠っているように見受けられる。
しかし、マニュアルはその性質上、特定の条件に対応するために作成されたものであり、すべての状況に対応できるものではない。そのため、マニュアルに記載のないイレギュラーな事態に直面すると、マニュアルに依存しすぎている従業員はその限界に気づかず、誤った判断を下す危険性がある。彼らが論理を駆使することに慣れていない場合、その判断は予期せぬ問題を引き起こし、組織に重大な影響を及ぼす可能性がある。
仮にある従業員が重大な過失を犯した場合、その責任は対外的には組織が負うことになるが、組織内でその従業員に対してどのような対応がなされるかは別問題である。おそらく、彼は減給や解雇といった処分を受けることになるだろう。しかし、彼は「マニュアルどおりに業務を遂行していた」と抗弁するかもしれない。だが、その主張が認められることは稀であり、結果として処分は避けられないだろう。
このような事態に至らないためにも、組織は従業員に対してマニュアルを提供するだけでなく、そのマニュアルの背後にある論理を理解し、マニュアルを超えた判断を可能とする能力を育成していく義務があると言える。従業員においてもその能力が求められていることに気づく必要性があるのではないだろうか。
再度強調するが、マニュアルを忠実に実行することで、組織が想定した範囲内での業務遂行は可能である。しかし、人間社会においては、想定外の事態が日常的に発生することは避けられず、従業員にはそれに対応する能力が求められる。雇用契約における業務内容には、予期せぬ事態に対処することも含まれているはずであり、それを怠ることはできない。 論理的思考はその能力の一つとして極めて重要な役割を果たすだろう。要は、人間なのだから、貴方は貴方自身の頭を使って考えようということである。
以上から、業務において根本的な論理を理解することの重要性は明白である。また、職業人として求められるべきは、マニュアルに従順であることではなく、ブラックボックス化されたマニュアルを解き明かし、その根本にある論理に迫り、それを理解した上でマニュアルをより合理的なものへと改善しようとする前向きな姿勢であると私は考える。
私はこの前衛的姿勢をモットーとして日々の業務に取り組んでおり、あらゆる論理の吸収と実践を最優先事項としている。ただ、この態度は周囲にとって賛否両論があるだろう。扱いにくい変わり者として見られることも少なくないが、一向に私は変わり者で構わない。
令和5年1月某日